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下田東遺跡から平安時代初頭の木簡が出土

[2011年1月1日]

ID:96

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香芝市下田東の五位堂駅前北第二土地区画整理事業に伴う発掘調査で、このほど平安時代初頭(9世紀初頭)とみられる井戸の中から木簡が出土しました。

この木簡は、全長36.8cm、幅11.1cm、厚さ0.5~1.0cmの板材で、樹種はヒノキとみられ、表裏両面に墨書が施されています。

添付ファイル

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ヒノキ表面の写真

表面

ヒノキ裏面の写真

裏面

(写真をクリックすると拡大表示します)

発掘調査風景東から完掘状況東から二上山を望む

発掘調査風景 東からの写真

発掘調査風景 東から

完掘状況 東から 二上山を望む写真

完掘状況 東から 二上山を望む

井戸周辺 遺構 西からの写真

井戸周辺 遺構 西から

井戸上部 半裁状況東からの写真

井戸 上部 半裁状況東から

井戸 半裁検出状況 東からの写真

井戸 半裁検出状況 東から

赤外線写真および釈文(未定稿につき変更される場合があります。)

木簡 赤外線写真および釈文 表面の写真
木簡 赤外線写真および釈文 裏面の写真

解説

書は両面にみられ、文字や内容から四つのグループに分けられる。その順番を推測すると、

  1. 売却記録(売口前直・・・)
  2. 種蒔記録(種蒔日・・・)
  3. 7月の田苅記録(小支石上日・・・)
  4. 伊福部連豊足解草案、の順に書いたものと思慮される。

転用材に書かれた木簡という点や内容から考えて、これらの墨書は長い年月を経て書かれたのではなく、1~2年程度の間に、同一の組織において記されたものであろう。

この木簡からわかることは、次の通り。

  1. 木簡作成者によりある物の売却が行なわれ、その記録のために曲物底板を利用した。
  2. 木簡作成者は種蒔きや稲刈りなどの農業に関わっており、そうした作業に関する記録も余白や裏に記入した。
  3. 木簡を作成した組織には伊福部連豊足という人物が属していた。また農作業には小須弥女や小支石(?)が従事した。
  4. 豊足は特別な馬を飼育していたが、命に関わる病気を患ったため、馬を手放して「仕奉」をやめようとしていた。
  5. そのことを上申するための文書を認めようとし、不要になった木片に下書きをして推敲した。
  6. この木簡は記録木簡であり、移動することなく一定の場所で使用されたと考えられるため、作成者=廃棄者と考えて差し支えない。

この木簡を最終的に使用したのが伊福部連豊足である。
彼の名は他の史料には見えないが、律令に定められた公文書の書式に則って文書を作成しようとしていることから、官恵似衛や王臣家などの公的組織や行政に関係した人物と思われる。
また達筆であることから、文書業務の経験の長い者とみられる。
この木簡には農作業の管理や物品の売買などのこともみえている。
こうした点から出土遺跡の性格をある程度推測することも可能であろう。
例えば、役所の出先機関・王臣家の庄園・郷長家などがその候補になる。
ただ残念なことに、伊福部連豊足がどのような肩書きを持つ人物であったのかは木簡からは読みとることが出来ないため、今のところは下田東遺跡で検出された遺構や他の遺物などから総合的に判断せざるを得ない。
今後、遺跡の調査が進展することにより下田東遺跡の性格が定まれば、この木簡の史料的価値も一層高くなると思われる。

解(げ)・・・律令(公式令)に定められた公文書の様式の一つ。
下級の官司が上級の官司に上申する場合の書式であるが、一般に個人の上申の際にもこの書式が用いられた。
『平安遺文』には墾田売買に関する郷長解が多数収録されている。

参考

郷長解の実例

大国郷長解 申依正税売買墾田立券事
合弐段壱百弐拾歩者
右、得右京一俵二坊戸主従八位下清江宿祢氏久戸口同常世解状碑、件墾田壱百東夷充価直、(中略)仇勤売買両人署名中上、以解、
墾田主清江宿祢「常世」
証人依知秦公「成山」
依知秦公「秋主」
依知秦公比留売
(画指)右手
弘仁二年三月二日郷長秦公「小月」
郡判之
擬大領正八位上依知秦公「杭」 主帳少初位下倭「清公」
少領従七位下蚊野公「乙足」
(『平安遺文』三三号)

郷長

もとは里長といったが、霊亀三年(七一七)の郷里制施行後、郷長とされた。
五十戸からなる郷(郡の下の行政組織)の長。
律令(戸令)によると、里長の職掌は検校戸口・課殖農桑・禁察非違・催駈賦役で、現地の白丁で清正強幹の者があてられた。
正式の官職ではなく、徭役が免除された。

平安時代初期の庄園木簡

平安時代初期の庄園に関する木簡としては、藤原宮西北隅の発掘調査で、井戸から弘仁元年(810)の宮所庄の稲収納記録木簡が出土している。
同年10月20日に収納した稲1509束について、国衙への搬入、物資の運搬、耕作者への給料、庄内の祭祀、冬服の購入、出挙などの支出を行ない、翌年2月下旬までに840束8把が残ったという決算報告書である。
この木簡からは、平安時代初めの庄家の具体的な様子が伺われる。
すなわち、垣に囲まれて門を構えた庄家があり、労働者を雇用して水田の経営が行なわれ、秋など季節の折りに祭祀が行なわれ、庄園の主が下ってくることもあったらしい。
収穫の一部は葛木寺へも納められた。(木簡学会編『日本古代木簡選』)

御馬

藤原宮木簡に「□人阿倍大臣直賜御馬一匹殿緒□」と書かれた木簡がみえるほか、長屋王家木簡にも「御馬司」「御馬曳」などの記載がみられるのが参考になる。

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