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大坂山口神社(穴虫)

ページID:0004951 更新日:2020年2月4日更新 印刷ページ表示

 祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)

  式内社(しきだいしゃ)大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座(ちんざ)されます。

 本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の銅板葺(ぶ)きで、文化十三年(一八一六)の再建とされますが、寛永ニ年(一六二五)以来の棟札(むねふだ)が残されています。それには、背後の山の石巌(せきがん)を掘削して神域を広げたことを記すもの、祇園宮寺(ぎおんぐうじ)とみえ、神宮寺の存在が確認できるものがあります。拝殿は間口五間、奥行ニ間の割拝殿で、棟札によると延享元年(一七四四)の再建になります。また、平成元年三月には、本殿屋根を銅板葺きに改修、あわせて拝殿脇殿、上段の塀、手水舎(ちょうずや)などが新築されています。

 近世の『大和志(し)』には、「在穴蒸村 今称牛頭(ごず)天王」とみえ、牛頭天王社(祇園宮)と称されていたことがわかります。秋の大祭には、この牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝殿には、文久二年(一八六二)や明治十九年(一八八六)の奉納板番付があり、境内には馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷(さじき)席があり、近年まで土俵(どひょう)も残されていました。この馬場組をリードしたのは、大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大(おお)の松為次郎(一八五九~一九ニ一)で、大正四年(一九一五)境内で引退相撲を行ったあと、素人相撲の世話役として活躍されました。

 また、近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園(たけぞの)日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では相撲が大変盛んであったことがわかります。

 なお、式内社大坂山口神社は、当社とその北東約六〇〇mに位置する逢坂のニヶ所に所在し、ともに式内社と称しています。

  • 所在地:香芝市穴虫1499-1
  • アクセス:≪鉄道≫
     近鉄大阪線「二上駅」下車、南西へ徒歩約4分(約0.4km)
     ≪自動車・バイク≫
     西名阪自動車道 香芝ICから南西へ約15分(約4.0km)
  • 駐車場:普通自動車3台(出入口は境内北側)
  • トイレ:有

式内社大坂山口神社(正面)

神社画像

土俵跡地や石垣を組んだ桟敷席

桟敷

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