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(1)旧石器文化の遺跡

ページID:0007517 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

香芝のあけぼの

(1)旧石器文化の遺跡

 二上山北麓の香芝市内には、大昔、石器を作っていた跡と思われる所が何か所かあり、考古学の先学によって踏査や研究が進められてきた。
嚆矢は本県出身の樋口清之先生が、サヌカイト原石を人工的に粗割りした残片が蓄積している遺跡に着目し、畿内の各地に石器を供給した加工の場と推定されたことである。
 最近、新しい住宅地の開発とともに考古学上の発掘調査も実施され、市内を舞台に活躍した人たちは、どんな生活をしていたのかを考証する手がかりを得た。
 「二上・桜ヶ丘遺跡」や「鶴峯荘第一地点遺跡」の学術調査報告によると、今から約2万5千年~2万年さかのぼった後期旧石器時代の第二段階が、ここでの文化のはじまりとされている。
そして、その時期を推定する決め手とされるのが、国府形ナイフと呼ばれるナイフ形の石器である。
国府形ナイフは、二上山の噴出によって形成された大阪層群と呼ばれる地層とその流礫に含まれて産出するサヌカイト原礫を石核に大割りするのが製作工程の最初で、次に、この石核を翼状の剥片に小割りする工程、最後にこの翼状の剥片を調整してナイフ形の石器に仕上げる。
このような製作の技法によって加工されたナイフ形石器は、瀬戸内の中央部から近畿地方に多く分布し、瀬戸内技法と名付けられている。
 現在、日本の各地で発見された旧石器時代の遺物は、地質学上の層や科学的な年代測定によって、3万年以上も経過した礫器や握り槌など粗加工の前期旧石器と、それより新しい後期旧石器の時代に大別されている。
後期旧石器は大形石刃の第一段階を経て第二段階のナイフ形石器、つぎに細石刃から有舌尖頭器へと続いている。
 二上山麓の桜ヶ丘から出土した国府形ナイフは、後期旧石器時代の第二段階を代表するような石器であるといわれている。
この国府文化が栄えていた頃は、ウルム氷期と呼ばれる地球の低温期とされ、海水面の低下によって日本列島がユーラシア大陸と陸続きであったと考えられている。
今日、日本の各地で発見されるナウマン象やオオツノジカなどの化石動物が地上に棲息していたのもこの時代であるという。
 国府文化の栄えた恰良火山の降灰層の年代を一言で2万5千年といえても、それは1000世代もの長い人びとの世代交代の期間で、私たちの香芝市は、このような長い間の人びとの歴史が絶えることなく続いている。
その生活の様相は、主に二上山麓の石材産地を舞台に、石器文化の発達とともにこの地で活躍した先人の遺跡を通して、今後考古学の面から立証されることになろう。
 私たちは、日本の石器文化の究明のために、穴虫や関屋を中心に散在する石器製造の遺跡を大切に保存して全てを学術的な調査の対象にしたいものである。

(2)石器のふるさと「二上山」

(3)縄文期の遺跡と文化

(4)水田農耕のはじまりと村の起こり

(5)上牧の観音山出土の銅鐸