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香芝町の誕生と発展

ページID:0007589 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

 ポツダム宣言を無条件に受諾した日本は、連合軍の占領政策のもと に支配されることになった。
 その基本政策は、旧日本軍の解体と全体主義を排除するための、平和的な民主国家をめざす政治の実現である。
 連合軍の日本進駐後、戦争責任者の軍事裁判や公職追放、自作農創設のための農地改革、財閥解体と株式の民主化、天皇の人間宣言と新憲法の制定施行など、政府を指導して次々に日本の民主化政策を推進していった。
 その結果婦人の参政権が認められ、労働者の諸権利が保障され、税制改革や経済安定九原則の実行など、日本の政治や経済の再建に向かっての新しい歩みが始まった。
 戦後の世界は、連合国側であったアメリカとソ連の両大国が、国際秩を巡って鋭く対立するようになった。
 この対立は、資本主義体制を維持しようとするアメリカと社会主義体制を拡大しようとするソ連の抗争で、アジアの諸国の政治にも影響を及ぼし、各国の内戦にまで発展した。
 とくに、昭和二十五(一九五○)年六月、三十八度線を巡って始まった朝鮮戦争は、戦後日本の経済復興に大きく影響し、昭和三十(一九五五)年以降の神武景気・岩戸景気をはじめ、高度経済成長の時代を迎えるのであった。
 予期しなかった科学技術の進歩と経済の高度成長は、家庭の電化製品・合成繊維・冷凍食品の浸透など、消費革命に伴う使い捨て時代を招き、産業構造の高次化や国民生活の高度化へと社会の様相を大きく変化させた。
 そして、大都市への人口集中と農山村の過疎化が進行すると、都市では交通や公害の問題が発生し、農・漁・山村では所得の低下が目立ってきて、政治や社会の深刻な問題となってきた。
 大阪に近い私たち香芝町では、都心のドーナツ化現象と相まって、人口の増加が目立つようになった。
 その人びとの多くは、過疎化する地域から新しい仕事を求めての転住者であり、巨大化して住みにくくなった都市から新しい住宅を求める移住者であった。
 そして、これら新しい仲間を迎えるにあたって、町内の公共施設の拡充・道路整備や住宅団地の造成のため、町は未来像を設定して都市計画を推進する課題に取り組むことになる。

(1)戦後の経済復興と諸産業の発展

(2)香芝町の誕生

(3)農業の変化と住宅地の増加

(4)香芝の発展と市制の施行