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(1)戦後の経済復興と諸産業の発展

ページID:0007521 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

香芝町の誕生と発展

(1)戦後の経済復興と諸産業の発展

 戦後すぐに自作農の創設をめざす農地改革が実施され、小作農家の自作化は進んだが、経営の規模は零細化して耕地の集約的利用が必要になってきた。
 食糧不足の続く戦後の一時期には、稲作を中心に麦類や菜種の裏作、甘藷、馬齢薯の畑作に精を出すが、徐々に、西瓜や果樹類など現金収入の多い商品作物の栽培に手を伸ばしていく。
 その結果、農家の経済は隆盛の一途をたどり、専業農家の戸数も頂点に達する。
 しかし、昭和三十年代に入ると、農産物の豊作と工業製品の輸出の伸びによって「神武景気」が起こり、兼業農家の割合がめだって増加し始め、農業経営は機械化・省力化の方向へと急速に変化するようになった。
 一方、農家の副業的な仕事から発展してきたこの地方の工業は、靴下の製造、砥石や研磨紙の製造などが、戦前の生産基盤を受け継いで郷土の特産品として復活する。
 特に靴下の製造業は、戦時中の衣料不足に悩まされていた消費者の需要に支えられて、年々その生産が飛躍的に拡大し、常用労働者を他府県から求める企業が多くなった。
 このように靴下業界の発展はめざましく、地域の経済活動全体を活況ある方向に導いてくれた。
 また、伝統的な金剛砂産業は、軍需産業時代に引き続き、金属機械工業の復興と発展に伴ってますますその需要が増加する。
 かつて軍需産業として栄えた鋳物工業も、戦後の経済回復とともに平和産業の民需に転じ、五位堂を、中心に郷土産業として復活した。
 こうした諸工業の復興は、地域の産業と経済にかつてみられなかったような活況をもたらしたのである。
 京阪神という大消費地の近郊に立地する農家の経済的繁栄と、経営の基盤が確立していた伝統的な諸産業の復興によって、香芝の村々は、県下でも財政的に富裕な自治体に発展する。
 しかし、農村地域に点在する諸工業は、その工場の規模が小さく、家族的な労働力に依存した零細企業が多く、数少ない中企業もその製品の流通過程での販路に関わって、大企業の下請や系列にくみこまれていく傾向が強くなってきた。
 とくに、「神武景気」以降の「岩戸景気」「いざなぎ景気」と続く日本の高度経済成長下では、技術革新による産業合理化への対応が難しく、大企業の巨大資本の傘下に向かわざるを得なくなっている。

(2)香芝町の誕生

(3)農業の変化と住宅地の増加

(4)香芝の発展と市制の施行