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(4)香芝の発展と市制の施行

ページID:0007551 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

香芝町の誕生と発展

(1)戦後の経済復興と諸産業の発展

(2)香芝町の誕生

(3)農業の変化と住宅地の増加

(4)香芝の発展と市制の施行

 香芝町の誕生にあたって、四か村が提出した合併申請書には、「北葛城郡五位堂村、下田村、二上村及び志都美村は、二上山麓の北東部に位置する平坦地区にして、何れも隣接し、祭礼、風俗、習慣を同じうし、地理的条件経済事情も類似し、……」と述べている。
 また、新町名についても、香芝町と決定するまでには、新町域の大同団結と平和な町づくりを願い「大和町」と呼称しようとする意見も強かった。
 こうした合併に対する新町民の期待にこたえ、各地域の住民は、徐々に旧村への断ち難い郷愁と愛着を超越して、今日まで新町の発展のために結集してきた。
 そして、二十年後の昭和五十一(一九七六)年までには、町役場の新庁舎建設をはじめ、小学校・中学校の新、増改築や上水道、町道敷設などの公共事業を、次々と遂行する。
 以後引き続いて総合体育館や中央公民館、文化センター、総合福祉センターの建設、都市計画街路の敷設、河川・水路の改修事業など計画的な町づくりが着々と進められている。
 一方、各地域で住宅団地の造成が進み、昭和六十一年度には、総世帯数は一万二千世帯、人口が五万人を超え、市制実施の要件が整い平成三年十月に奈良県内十番目の香芝市の誕生となる。
 こうした急速な発展の背景には、香芝市の未来像が商都大阪のベッドタウン化の方向にあって、将来その機能を整備拡充していかなければならない課題にもつながっている。
 ことに近年大都市には、大気汚染や、騒音公害、交通問題など幾多の都市問題が生じ、郊外への人口流出が目立ってきた。
 こうした社会情勢の中で、大阪の都心部から二十五キロの近距離に位置する本市は、大阪市とその周辺の各都市への通勤圏であるため、住宅地としての地理的な有利さに注目を集めている。
 したがって、香芝市の未来には、近畿圏東部の地域開発に関わって、奈良盆地西部における中心的役割をもつ新しい都市づくりの課題もある。
 これから私たちは、香芝の市内に新しく住居を求めてやってくる人びとと共に、豊かな自然美と秀れた歴史的風土を大切にして、住みよい都市づくりをめざして取り組まなければならない。