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近代産業の発展と人びとのくらし

ページID:0007585 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

 日清戦争後の我が国では、官営工場から発展した軽工業中心の産業革命が更に進展し、綿花の輸入とともに工場制機械工業が急速に発展、綿製品の輸出量が急増していった。
 また、日露戦争後には、立ちおくれていた重工業部門の発展のため、官営の八幡製鉄所が操業を開始した。
 こうして、西欧諸国に先行されていた産業の近代化もようやく軌道にのり、資本主義経済が成立する。
 反面、資本主義の発展に伴って農村からの工場労働者が増加し、それら労働者の低賃金、長時間労働など苛酷な労働条件が社会問題化して、労働運動が社会の注目を集めるようになる。
 文化面でも欧米の近代文化が急速に取り入れられ、教育や学問、通信・報道など、国民の生活に大きな変革をもたらした。
 しかし、その影響は大都市に多くみられ、地方の農村では交通・通信・電燈・洋服などの近代化はおくれ、旧暦による江戸時代の年中行事や信仰が受け継がれ、都市と農村の生活に大きなちがいがあった。
 大正三(一九一四)年、ヨーロッパでは列強の帝国主義的抗争に起因する第一次世界大戦が始まり、日本も日英同盟に基づいて、ドイツに宣戦を布告して参戦する。
 この間、遠く離れたヨーロッパの対戦国に代わって、日本はアジアの市場へ進出して大きな利益を得たため、産業界は空前の好景気となり戦争成金がぞくぞく出現してきた。
 しかし、工業生産の飛躍的な増大も農村の生活を潤すことなく、大正七(一九一八)年ごろには、米価の高騰に苦しむ労働者・小作人など、低所得層の生活苦は日増しに厳しさを加えていった。
 地主は米を売惜しみ米屋は米を買い占めて、互いに米の値上がりを見込んで投機にはしった。
 そのため消費者は、この米の安売りを要求して、「米騒動」を起こす地方も現れた。
 第一次世界大戦が終結すると、ヨーロッパ諸国の工業生産力が回復して、大戦中好況であった日本の景気は急速に不況化し、深刻な経済恐慌によって失業者が続出する。
 この恐慌の中で、我が国も独占資本・金融資本の時代に入り、財閥が形成される。
 そして、この財閥は軍部と結託して、大陸に市場を求め侵略戦争を始める。

(1)農産物の変遷と農家の経済

(2)農家の副業から発展した工業

(3)商業の変遷と発展

(4)街道の変遷と鉄道の開通

(5)第一次世界大戦と大正デモクラシー