ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 石器のふるさと香芝 > (2)不況下の村政

本文

(2)不況下の村政

ページID:0007537 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

軍部の台頭と戦時下のくらし

(1)経済恐慌と農村の変化

(2)不況下の村政

 経済恐慌下の農村の窮状を打開するため、農家と各村々や産業組合が一体となって、土地利用の合理化、裏作や園芸作物の増殖、自給肥料の生産と有畜農業の普及、農作業の共同化などの施策を実行していった。
 こうした農村の窮乏は、村税の徴収にも大きく影響し、各村々の財政をだんだん苦しくしていった。
 昭和六(一九三一)年、五位堂村の予算審議の村会では、予算の規模縮小の問題がとりあげられ、どの費目を減額すればよいか、議員の間でいろいろと論議されている。
 神餞料、用紙代、土木費、小学校正教員の俸給減額などを求める意見の中で、議事録には、

 六番議員「農村窮乏ノ折柄、出来得レバ、高級者ヲ整理シ、初任級ト更迭ヲシテ戴キタイト存ジマス……」
 三番議員「米価十六円位ニ暴落シタノデアリマスカラ、全ク負担ニ堪ユルコトデキナイ……」
 四番議員「農村ノ窮状ヲ県当局ヘ訴フル外ナイト思ヒマス」
 村長「私ハ村ヘノ御奉公デスカラ、カマイマセンガ、他ノ吏員ノ給料ニ対シテハ、何トカ御考究ヲ……」

 などとの論議があり、結局村会議員の日当を減額することを決定している。
 この頃(昭和九年)二上村でも、県税や村税の滞納する者が増え、次の事務報告が出されている。
 「時代ノ要求ニ伴フ、国費地方費ノ膨張ハ村民負担ノ増加ヲ来シ、加フルニ経済界ノ不況、思想界ノ動揺ハ納税成績ノ著シキ低下ヲ招来シ、之ガ挽回向上ニハ鋭意研究ト努力ヲ払ヒツツアレ共、滞納ノ整理ニハ専務吏員ノ必要ヲ痛感セラル」
とあり、志都美村では、政府所有米を困窮者に払い下げるため、村長専決の追加予算を組んでいる。
 当然、税金の滞納者が増え財政が緊迫していることが考えられ、下田村とて同じような状態だったと思われる。
 ところが、一方では、この頃各村が役場の庁舎を建設しており、その費用の捻出もあって、財政面の窮状を深めている感が強い。
 大正十三(一九二四)年の五位堂村役場の新築、昭和三(一九○二)年の二上村役場の改築竣工、昭和六(一九三一)年、法楽寺、下田小学校を間借りしていた下田村役場の新築、更に、昭和十五(一九四○)年、志都美村役場の専用庁舎完成へと続く。
 明治の町村制施行以来ここへきてようやく村政の拠点となる役場の建設が完了する。

(3)日中・太平洋戦争と村政

(4)戦時下の村民生活