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(4)戦時下の村民生活

ページID:0007553 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

軍部の台頭と戦時下のくらし

(1)経済恐慌と農村の変化

(2)不況下の村政

(3)日中・太平洋戦争と村政

(4)戦時下の村民生活

 日中戦争から太平洋戦争へと戦域が拡大する中で、国家総動員法、国民徴用令、大政翼賛会、大日本産業報告会、学徒出陣、学徒動員など、次々に戦時政策が打ち出されて動員や統制が強化されていく。
 この間、香芝の村々では、働き盛りの若者や壮年が相次いで動員され出征していった。
 郷土に残された村人たちは、出征軍人の見送りや慰問、留守家族の援護活動、武運長久の祈願など、毎日が戦争に関わる行事に明け暮れる日々であった。
 緒戦での中国大陸における南京や武漢三鎮占領のニュースに、村人がわきかえり祝賀の旗行列をした。
 この頃から、負傷者や戦死者の公報が多くなってきた。
 そして、多くの日本人は、戦争への憎しみより勝利への執念といった感情をもつようになり、防空演習、軍用機献納などの銃後活動に積極に協力し、挙国一致の戦時政策に取り組むようになった。
 戦局の進展に伴って国内の物資は少しずつ欠乏し、生活の必需品は、分配の公平さを期するために配給制が実施される。
 なかでも、日常生活に欠くことのできない食糧は、米で大人一人一日二合三勺とその配給基準が決められた。
 やがて配給米の中に麦や甘薯が代替として加えられ、魚や野菜の副食物まで配給制になった。
 しかも、配給日に遅れることや欠配することすらあって、非農家の人たちにとっては大変であった。
 一方、農家では、自家用の保有米を残して米・麦など食糧のすべてを供出し、その割当量を完納するのに人手や肥料不足で苦労する家が少なくなかった。
 また、衣料品の購入には、切符の点数制が採用され、品目別に決められた点数が購入の際に切りとられて、点数がなくなると買えない制度であった。
 このほか、マッチ、砂糖、酒、タバコなどすべて配給制で、その数量は少なく、抽選や順番制による分配方法がとられ、隣組や町内会の仕事も大変なものであった。
 軍部が本土決戦を叫ぶ戦争の終わり頃になると、国民は戦局の真相を知らされないまま、人びとの生活は耐乏の極に達していた。
 小学生は学校の運動場を開拓して甘藷を作り、中学生や女学生に学徒動員令が出て軍需工場への動員があり、田植や稲刈りの勤労奉仕にも出動した。
 日本の多くの都市が空襲されて焦土化する頃には、軍需工場は破壊され軍部の抗戦力がとみに低下し、空も海もアメリカ空軍に制覇されてしまう。
 そして、ここなら安心と思っていた香芝でも、艦載機の来襲することがあって、村人はいよいよ戦争の終結間近いことを感ずるようになった。
 今日、戦争を否定する大人は多いが、こうした戦時下の自分の体験を、子どもたちに語ろうとする人は少ないのではないだろうか。
 しかし、悪夢の戦争を二度とくり返してはならないことだけは、心から念じずにはおれないのが戦争を体験した人たちの願いである。