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(4)二上山麓の石切り場の遺構

ページID:0007556 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

大和の大王と葛城の豪族

(1)狐井城山古墳と葛城の豪族

(2)顕宗・武烈両陵のこと

(3)須恵器と古代瓦の窯跡

(4)二上山麓の石切り場の遺構

 良福寺の阿弥陀橋に利用されていた組合式の長持形石棺は、兵庫県から運ばれてきた竜山石といわれ、近くの狐井城山古墳のものでないかと考えられている。
 また、この狐井城山古墳の外堤に接する用水路から、現在ふたかみ文化センター前庭に保管されている竜山石の刳抜式長持形石棺が発見されている。
 ところが、二上小学校にも藤山古墳の家形石棺が移転保存されていた。
 こ の組合せ式石棺(現二上山博物館蔵)は、二上山麓から産出する凝灰岩で造られている。
 吉野口の駅に近い御所市の「水泥古墳」の蓮花文を彫りこんだ家形石棺、高取町市尾の「墓山古墳」の石棺、明日香の「塚本古墳」、桜井市の「艸墓古墳」・「天王山古墳」など、後期の横穴式古墳には、数多くの二上山産の凝灰岩製の石棺が残されている。
 更に、終末期古墳の石槨や石室にも、ここの凝灰岩が利用されている。
 凝灰岩は、火山の噴出物が層状に堆積して形成された柔らかい岩石で、板状の石材や石造物の造形が容易にできる石材である。
 古墳の石棺や石室に加工されただけでなく、寺院の建築などにも幅広く利用された。
 例えば、法隆寺食堂の基檀の地覆石や束石・羽目石などに用いられている。
 この凝灰岩を切り出した石切場の遺構が、香芝西中学校への進入路敷設予定地で発見され、発掘調査が実施された。
 その結果、遺構の上面の表土を取り除くと、合計十二ヶ所の石材の切り出し跡が検出され、切り込みのノミ痕が明瞭に残る石切り場遺構に間違いないことがわかった。
 切り出し遺構の現場は、堆積層が約二十度の傾斜で西北西の方向に傾き、露天掘りの要領で、節理の性質を利用し同じ層位の部分を剥ぎ取っている。
 また、ここから切り出された凝灰岩には、流紋岩粒を多く含む特徴があり、堆積地点によって色彩や含まれている岩粒に相違が見られるので、今後その流通の実態と二上山周辺の石切り場の確認を平行して進めなければならない。
 最近、高山台の造成工事の現場からも、凝灰岩の石切場跡の存在が確認された。
 いずれにしろ、サヌカイトから凝灰岩へ、二上山麓の石材が、周辺の文化に大きな役割を果たし、今日なお人類の遺産として各地で歴史の証人となっている。石切場.jpg(734)

(5)後期の古墳