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(6)町村制の公布と新村の成立

ページID:0007569 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

近代化への歩み

(1)明治の政変と奈良県の成立

(2)大・小区制度と旧村の伝統

(3)地方制度の再編成

(4)近代化への歩み

(5)地租改正と小作農の増加

(6)町村制の公布と新村の成立

 明治維新以来、幾度かの改編を重ねた地方政治の単位と組織は、明治二十一(一八八八)年四月に公布された「市制及び町村制」によって、ようやくその成案をみた。
 最後の連合戸長役場の管轄にあわせて町村合併を行い、新しい町村に自治体としての法人格を認めることになった。
 新しい町村の合併は、政府に直結する県当局の指導のもとにすすめられたが、形式上各町村から合併を願い出て、それを承認する方法がとられている。
 このとき香芝市内では、○○村外○か村戸長役場と番号付戸長役場がそのまま五位堂村(三十九)、二上村(四十一)、下田村(四十二)、志都美村(四十四)の四か村が成立し、翌明治二十二年四月から新しく発足する。
 以来香芝町の成立する昭和三十一年四月に至るまでの地方行政単位となる。
 そして、新しく発足した各村の役場は、それぞれ、五位堂、畑、下田、今泉に置かれ、近代村政の中心として徐々に村民生活と結びつくようになった。
 新村の村長はそれぞれの村会で選出され、その村長が助役・収入役を指名した。
 このために各村々では村会議員の選挙が実施され、直接国税二円以上を納める二十五才以上の男子に限られた選挙人の中から、連記無記名の投票によって当選者を決めている。
 しかも、直接村税の納付額の多少によって、選挙人を一級と二級に分け、選挙人全員の村税額の半ばにあたる村税の負担者何人かを一級とし、残る多くの選挙人を二級として、級別に半数ずつの村会議員を選出する方法がとられた。
 したがって、高額の村税を納める少数の財産家は、多くの議員を選出することができ、村の政治に大きな発言力がもてる選挙制度であった。
 この制度は、大正十五(一九二六)年の普通選挙が実施されるときまで続き、財産家を中心とする日本の保守的な政治の基盤をつくりあげた。
 また、新しい村は、中央政府の行政機関としての役目をもっていて、その自治には大きな制限が加えられた。
 例えば、村長が村会議長を兼ねることをたてまえとし、国の委任事務の遂行を村々に義務づけ、村役場の仕事のなかに位置づけられた。
 一方、村民生活に密着してきた旧村は大字として新村の下部機構に組み入れられ、「常設委員条例」(五位堂村・二上村・志都美村)や「常設土木委員条例」(下田村)によって、旧村所有の溜池や用水路の管理など複雑な旧来の慣行を処理しつづけるが、次第に伝統的な機能はうすれてしまう。

(7)新しい村財政のやりくり