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(6)伝統産業─鋳物の生産─

ページID:0007570 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

中世武家社会の展開

(1)鹿島社と結鎮座

(2)畑城跡と岡一族の砦

(3)岡一族の興亡

(4)片岡氏とその城塁跡

(5)伝統産業─金剛砂の採掘─

(6)伝統産業─鋳物の生産─

 金剛砂の採掘とならんで、香芝市内の古くからの伝統産業に鋳造工業があげられる。
 奈良時代の歴史を記録した『続日本紀』に、宝亀五(七七四)年、東大寺の造営で大仏や大鐘の鋳造に功績のあった国中連公麻呂死去の記載があり、その公麻呂は葛下郡国中村の住人であったと記されている。
 現在国中村の所在は不明であるが、葛下郡はこの地方のことであり、公麻呂はこの地方の鋳物師にとって遠祖にあたる人物でないかと考えることができる。
 降って鎌倉時代の弘安四(一二八一)年には、今は亡き長谷寺の鐘が、下田の大工藤井友頼とその一族によって鋳造されたことが知られている。
 また南北朝・室町時代には、興福寺領の平田荘に属した下田の鋳物師の座が領主から特別に保護され、その遺品が今日全国各地の寺社に保存されている。

応安元(一三六八)年…(北朝銘)
 長野県下諏訪 慈雲寺鐘 大工葛城知盛
至徳元(一三八四)年…(北朝銘)
 岐阜県美濃加茂市 竜安寺鐘 大工和州友宗
応永二十八(一四二一)年
 島根県安来市 清水寺鐘 和州住人大工友光
永享六(一四三四)年
大阪府茨木市 総持寺鐘 大工大和国下田之左衛門藤原友永
康正二(一四五六)年
 奈良県吉野郡 金峰山風鐸 大工下田住助次郎
延徳元(一四八九)年
 奈良県吉野郡 吉野勝手社香盤 大工当国下田住左衛門助

 このほかにも奥羽地方や四国地方に、下田の鋳物師の作品が数多く現存しているようである。
 ところが江戸時代になると、下田の鋳物師に代わって五位堂の鋳物師の活躍が目立っている。

慶安五(一六五二)年
 當麻町當麻寺曼陀羅堂鐘 和州五位堂村之住 藤原末次 周防少掾
寛文十三(一六七三)年
 宇陀郡大宇陀町 万法寺鐘 葛下郡五位堂村 藤原周防六兵衛末次
貞享二(一六八五)年
 香芝市良福寺 阿日寺鐘 和州葛下郡五位堂村 津田大和大掾藤原定次
文化五(一八〇八)年
 明日香村 岡寺鐘 禁裏御鋳物師 大和大目藤原定次 津田五郎兵衛 周防少掾藤原末次 杉田六兵衛石見掾藤原昌次 小原善次郎

 など、江戸時代に大和の寺々のために鋳造された銅鐘には、この五位堂の鋳物師の手になるものが多くみられる。
 私たち下田や五位堂の郷土の先人が、手塩にかけて鋳造した遺産を、各地の寺院で末永く寺宝として伝世されることを祈りたい。

(7)乱世の歴史を秘める石仏