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(7)農民の娯楽と旅行

ページID:0007573 更新日:2021年12月13日更新 印刷ページ表示

幕藩体制の確立と近世社会の展開

(1)大和検地と刀狩り

(2)新しい武士の支配と農民の生活

(3)近世の村とその変遷

(4)村々の政治とその仕組み

(5)貨幣経済の発達と農村の変化

(6)おかげ参りの流行と送迎の太神宮

(7)農民の娯楽と旅行

 幕府や領主の厳しい統制下にあった江戸時代の農民にも、氏神の例祭や寺の法会・講など宗教的な行事のみは、村人が集会し飲食することが許されていた。
 今日でも農村には、正月に始まり、二月の初午、三月の節句と彼岸、五月の節句、七月の夏祭りとお盆、秋の彼岸や秋祭りなど、宗教や農耕儀礼に基づく年中行事が残されている。
 この日には、村民こぞって厳しい労務から解放され、慣習化された行事とともに、季節の献立を作って酒食を楽しむことができた。
 ことに、お盆の盆踊り、秋祭りの神輿やだんじりひきなどは、毎日、単調な生活を送っていた老若男女にとって、大きな楽しみであった。
 また、日待講や観音講・伊勢講・昆比羅講などの講仲間があって、恒例の集会には、ご馳走を作って酒を汲みかわし、仲間との話合いを楽しんだ。
 こんなとき講元では、子どもまでが給仕にかりだされ、地域社会の人びとと親しく接し、世の中を意識する絶好の機会となった。
 このことが、子どもの日常生活のなかで、家族間だけではなく社会人としての自分をみつめる態度を育て、教育的にも役立ったことにちがいなかった。
 当時、倹約を厳命されていた農民は、生まれ故郷から遠方に旅行する機会が少なく、京都の本願寺などそれぞれの宗門の本山への参拝、伊勢太神宮への参拝、西国三十三所霊場巡礼の旅など、一生の思い出となる最大の娯楽であった。
 そのうち伊勢参宮の旅では、講仲間による講田の耕作から得た収入や掛金をもとに、講中の代参人として費用や餞別までもらって旅立った。
 代参人の留守宅では、留守見舞いを受け、帰村するときは「下向迎え」といって村はずれまで出迎えたという。
 更に、講の頭屋に講仲間が集って、酒宴を開き、旅先での見聞を語り合ったのである。
 このような参詣・巡礼の旅とはいえ、旅行には面倒な手続きを要し、出村の許可と往来手形を必要とした。
 とくに、その往来手形には、請寺が旅行者をその信徒であることを証明し、旅の用件や目的、病気や死亡時の処置についての依頼など、寺院の名で各方面の役所・関所の役人に宛てた文言が記されていた。
 いずれにしても、旅行は各地の人情や風俗に接するだけではなく、農業の技術や生業の実情を見聞して帰り、地方の産業振興に役立つ場合も多く、広く世間の事情を知る重要な機会となった。

(8)天災による飢饉と幕末の世相

(9)村方騒動の頻発

(10)倒幕運動と村々の動き